地蔵堂

地蔵堂

那智勝浦町口色川

大雲取山を越えて熊野本宮と那智を結ぶ雲取越道の地蔵堂の前に大正十年(一九二一)頃まであった一件の茶屋。
「後鳥羽院熊野御幸記」建仁元年(一二〇一)十月二十日条に「雲トリ紫金峯如立乎、山中只一宇有小家、右衛門督家也」とある。大雲取越の山中にただ一宇あったという小家に想定されている。「西国三十三所名所図会」には、「那智山から百十九丁目にあり、傍に地蔵堂有り、一軒家也」とみえる。

地蔵堂とその付近に多くの石仏があり、「元禄三庚午年」の銘のある六字名号碑石の他、堂内には宝永四年(一七〇七)泉州堺の魚商人六兵衛が寄進したという石地蔵三十三体が安置されている。 当時の熊野道者の信仰を知る民族資料として貴重なもの。( 現在は三二体で一体は熊野川小口に祀られている)

地蔵茶屋より那智山よりの地に舟見茶屋があった。「続風土記」によれば雲取越道を熊野本宮より那智に向かってくるとき、初めて海を望むことができる地であるところから名付けられたという。

地蔵堂の石仏(地蔵茶屋)

地蔵堂十一面観音菩薩は、大雲取山の地蔵堂に祭られている石仏の代表像と見るべきものである。
左側が十一面観音菩薩、右側が薬師如来である。いずれも丸彫りの美しい線、豊艶な柔らかみ、慈悲溢れる優しさがにじみ出て、すばらしい。
熊野地方にこれだけ立派な石仏は見あたらない。昔信心深い熊野参詣道者が、寂しく嶮しい山中で、この仏の前に憩い、ぬかずき、旅の疲れを癒したであろう。
この二仏の前に各一二体ずつ船型光背、浮き彫りの石仏、四体三列に並べ、この二体をいれて、二六体を一群とし、前列に丸彫りの可愛い六地蔵を配し、列外に一体、右膝をたてて(遊戯座)頬杖をついた思惟想の弥勒菩薩が安置されている。
全部で三三体の石仏である。造立の時代や作者については不明である。
二六体は二群に並べられているから、一群は十三仏、他は薬師如来と薬師十二神将の一群かも知れぬ。
二十六の像高は六七~七〇センチメートル。石材は玄武岩に似ている。六地蔵と弥勒仏は御影石でいずれも熊野路に産出しない。
弥勒の光背に「光覺祐関信士」「迎覺源人信士」「月宗雲信女」寛永四(一七〇七)丁亥年五月日泉州堺新任衆所魚屋六兵衛」の銘が判読できるから、同じ石材の地蔵も同一人の寄進であろう。二六体の石仏に比べ新しい感じである。